最近お疲れ気味です。
こんにちは、まめちです。
ゴールデンウィークが終わって以降、疲れや気力の衰えがひどく、しばらくブログ更新をお休みしていました。
仕事もそれなりに忙しかったのですが、土日も、結婚式場を決めたり、婚約者の実家に挨拶に行くなどのしんどいイベントが多かったため、十分に休めていなかったのかな、と思います。
休む、というのは「仕事をしていない」という状態を指すのではなく、「義務を果たすために何かをする状態から解放されていること」という風に定義できるのかな、とふと思いました。
式場選びは色々と大変でしたが、学ぶことも多く有意義な経験だったと思います。
アイデアがまとまったら、またブログに書こうと思います。
今日はこの辺で。
皆さんよい一日をお過ごしください。
【沖縄旅行】普天間飛行場にオスプレイを見に行った話
こんにちは、まめちです。
2017年5月4日、沖縄旅行最終日に、普天間飛行場を見学してきました。
◆本編
当日は朝7時ごろに起床し、朝食(沖縄みその入ったおにぎりと、昨晩のつまみのポークの残り)を食べてから、宿でレンタサイクルの手続きをして出発します。レンタル代は1時間100円と破格の安さでした。
国道330号線に出た後は、道なりに北上します。5月上旬とはいうものの、照り付ける日差しは真夏のそれです。しばらく「ゆいレール」と並走が続きます。
1時間弱ほど走ったところで、目的地の「嘉数高台公園」に到着します。
沖縄戦における激戦地の一つであったこの場所には、当時の塹壕やトンネルの残骸、慰霊碑などがそこかしこにあり、当時の戦闘の激しさを物語っています。
丘のてっぺんには3階建ての展望台が立っており、そこから普天間飛行場を見下ろすことができます。
3階からの眺望はこんな感じ。奥に見えるのが普天間飛行場です。住宅地との位置関係は伊丹空港に似ているな、という印象です。
西側には東シナ海が広がっています。
カメラを目いっぱいズームすると、複数の軍用機が泊まっていることがわかります。
西側を眺めると、那覇空港に離発着する旅客機の姿が見えます。沖縄本島南部には、民間空港も合わせると数多くの空港が高密度に設置されていることがわかります。
展望台に立っていると、15分に1回くらいの感覚で軍用機が離発着しています。軍用ヘリやオスプレイの発するバリバリという爆音はものすごく、こんな音を毎日毎日聞かされたらたまったもんじゃないだろうな、という気になります。
離陸していくMV-22Bオスプレイ
離陸はとても滑らかです。
テイクオフしたオスプレイは、爆音を立てて頭上を通り過ぎ、東のほうへあっという間に飛び去っていきました。
オスプレイのほかは、CH-53シースタリオンなどが次々と飛来していきます。
ゴールデンウィークの中日ということもあってか、観光客のような人も数多く訪れていました。みんなオスプレイ目当てのようで、オスプレイが飛来するごとに歓声を上げていました。
一方で、2回には超望遠レンズとエアバンド・レシーバーを構えた男性3人組が陣取っており、ただならぬ気配を醸し出していました。よくよく観察していると、どうやら基地を監視し、どのタイプの飛行機が何時何分に離発着したかを監視しているようです。飛行機が飛来するたびに、「UH-1、22分!」「CH-53、35分!」などと、機種と飛来時間を帳簿にメモしていました。おそらく市民運動家の方なのでしょう。
展望台には、下記のような基地返還後の都市計画を示したパネルが設置されていました。返還後は、道路を整備し、住宅地や商業施設などを誘致する目論見のようです。普天間飛行場が位置する宜野湾市は、那覇から10kmほどの場所に位置し、那覇市内へは十分通勤圏内に位置することを考えると、基地返還後の街づくりは、採算性が相応にありそうな気がします。
写真を撮り終えたあとは、高台公園の中にある塹壕跡などを見学しました。
こちらはトーチカの跡です。コンクリートでできた堅牢なトーチカは、今でも現役で使えそうな雰囲気でした。
嘉数高台公園を後にし、宜野湾市立博物館に向かいました。
宜野湾市周辺で発掘された先史時代の展示がメインなのですが、沖縄線の経過と、その後の普天間飛行場収用問題をめぐる一連の展示も興味深いものでした。
こちらも入館料無料なので、基地見学の際に訪れるのもよいかもしれません。
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【沖縄旅行】日本銀行那覇支店〜南北大東島通貨と消えた銀行
こんにちは、まめちです。
5月2日から5月4日まで沖縄を旅行してきました。
今回以降、何件かテーマ別に、当地で見聞きした中で面白かった事物をご紹介していきます。
日本銀行那覇支店 広報展示室
那覇市内の宿にチェックインし、荷物を置いてからまず向かったのは、日本銀行の那覇支店にある広報展示室です。
入口では、沖縄らしくシーサーが出迎えてくれます。
展示内容は、沖縄県における琉球王朝時代からの通貨の歴史を紹介する「歴史展示」と、日本銀行那覇支店の業務内容をわかりやすく示す「業務展示」に分かれており、今回は「歴史展示」を目当てに訪問しました。
展示室の全景はこんな感じです。
回収・裁断した紙幣で作られたシーサーの置物や、
日本銀行那覇支店のマスコットキャラクター「えんたん」の像に挨拶し、2千円札の張りぼてで記念撮影を終えたら、内部の見学に進みましょう。
先史時代から現代にいたるまでの、琉球における貨幣の歴史がわかるパネル展示が続きます。
中でも目を引いたのは「南北大東島紙幣」の展示でした。少しここで詳しく解説したいと思います。
南北大東島紙幣
南北大東島紙幣とは
「南北大東島紙幣」は、読んでの字のごとく南北大東島のみで通用した紙幣のことです。
南北大東島は、1900年に玉置半右衛門が開拓して以降、島全体が製糖会社(玉置商会)によって所有され、商店も全て玉置商会によって運営されていました。
このため、南北大東島内部においては紙幣(日本銀行券)を持つ必要がなく、かわりに玉置商会が発行する紙幣が流通しており、住民はこれを用いて資金決済を行っていました。玉置商会は、これにより本土より通貨を輸入する手間が省け、かつ住民に対する給与を日銀券(日本円)で支払う必要がないため、手元に残った日本円を運用して利益を上げたと言われています。
玉置商会による搾取の構造
なぜこんな無法がまかり通ったのか、という事ですが、南北大東島では島の自治が特例として玉置商会に委ねられており、日本の行政権が及ばない範囲であったためです。警察官ですら玉置商会が人件費を負担していたといいますから、まさしくズブズブですね。
「賭博黙示録カイジ」に出てくる企業「帝愛」が発行し、主人公カイジたちが強制労働に従事する地下労働区域でのみ通用する通貨「ペリカ」と仕組みは全く一緒です。
よくこんな搾取の仕組みを思いつくなぁ、と感心せずにはいられませんでした。
沖縄の銀行の変遷
「沖縄県における戦前の金融機関の変遷」というパネル展示もあり、こちらもなかなか興味深い内容でした。
戦前
このパネルでは、明治時代以降における沖縄県の金融機関の変遷が紹介されています。中でも目を引くのは、一番下の沖縄興業銀行が「消滅した」との記述です。資産や人や預かり資産といった銀行の構成要素の全てが灰燼に帰した、という事態は只事ではありません。沖縄戦がいかに苛烈なものであったか、を窺い知ることができます。
戦後
なお、戦後はこの通りです。
二千円札推し
2000年の沖縄サミットを記念して発行された2000円札。当然のことながら当地・沖縄の日銀はグイグイ押してきます。発行を記念して発売された「弐千円札物語」という泡盛の展示もあり、当時の熱狂ムードが伺い知れます。
開館案内など
当博物館は、平日9-15時までの開館ですが、入場料無料かつ見ごたえのある展示がいっぱいです。沖縄観光の際はぜひ訪れてみてください。
5月2日から、2泊3日で沖縄に行きます。
「まめちの本棚」今週の記事まとめ(4/24~4/30)
こんにちは、まめちです。
今週中に書いた記事をまとめてご案内します。
並びは人気のある順番です。
もくじ
◆折り畳み自転車の購入検討を通じて、自分の意思決定フローを振り返ってみる(4/24)
◆婚活で役に立った本4冊をご紹介します。(4/23)
◆「趣味でも何でも、中途半端はいけない」という風潮について。(4/27)
◆私のPC環境についてのご質問にお答えします。(4/25)
◆ランニングって暇じゃないですか?(4/28)
◆ゆる書評:投資関連書籍(4/29)
◆『週刊東洋経済eビジネス新書』から面白そうなものを13冊ご紹介します。(4/26)
先週のまとめ
※先週のまとめはこちらです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
良い週末をお過ごしください。