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まめちの本棚

自分が「面白い」「皆さんに知ってほしい」と感じたことを書き記すブログです。※投稿内容は個人的な意見の表明に過ぎず、所属する組織の見解を反映するものでは一切ありません。

間宮林蔵

間宮林蔵 (講談社文庫)間宮林蔵 (講談社文庫)

(1987/01)

吉村 昭

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間宮林蔵、といえば「樺太を島であること」を確認し、その功績をたたえてロシア沿海州とサハリンとの間の海峡が「間宮海峡」と名付けられた、という事は大方の日本人が歴史なり地理なりで学習することだと思う。しかし、間宮林蔵本人がどのような人物であったのかを知る人はほとんどいないだろう。

本書はタイトルの通り、間宮林蔵の生涯を綴った小説である。

間宮林蔵は1780年(安永9年)に常陸国筑波郡(現茨城県つくばみらい市)の農民の子として生まれた。幼い頃から土木工事に興味を示し、持ち前の頭の良さが役人の目にとまり見習いとして取り立てられ、後に幕府の役人となる。のちに伊能忠敬に師事し、測量術を体得して西蝦夷の測量を担当することになる。

物語は、林蔵が択捉島に駐在していたときにロシア兵の攻撃を受けた事件から始まる。この事件で北方警備の重要性を痛感した林蔵は、幕府に願い出て未だ未知の地域であった樺太の探検を申し出る。当時、樺太は島であるか、それとも半島であるかは確かめられておらず、学会では半島説が有力であったという。

幕府の許可を得た林蔵は、苦心の末樺太が島であることをつきとめ、さらにアムール川を遡り当時清朝の支配下にあったロシア沿海州地域を探検し、幕府に様々な貴重な情報をもたらした。

樺太の探検を終えた林蔵は、幕府の隠密として日本中を旅して回り、晩年は水戸藩に出入りして藤田東湖徳川斉昭とも交流を深めた。1844年に死去。ちなみにシーボルトが持ち出した日本地図に「間宮海峡」の名が記されており、これによって世界中にこの呼称が定着したらしい。

この小説のクライマックスは、やはり林蔵が樺太のきびしい自然に耐えつつ調査を進めていくくだりであろう。飢えや病気、蛮族の攻撃、そしてきびしい寒さに耐えながらひたむきに探検を進めていく林蔵の姿には心打たれる。作者の修辞をさほど加えない淡々とした筆致が、かえって読者の想像力をかき立て林蔵が味わったであろう労苦を忍ぶことができる。

前半の冒険譚はなかなか読ませるのだが、樺太から帰って隠密として働き出すところからはやや冗長な筆致になるのが残念。しかし使命感に燃え、自分の仕事をひたむきに追求する林蔵の生き様には強い魅力を感じた。