まめちの本棚

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インターネットはやっぱり「からっぽの洞窟」か

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Google先生は万能ではない

こんにちは。まめちです。

先日、Web上で得られる情報について思うところがあり、以下のようなツイートをしたのですが、何気なくつぶやいた割に反響があって驚きました。同じようなことを思っている方が多いということなのでしょう。

最近、上記のツイートをしたきっかけとなったのとは別の件で、ある病気について強い切迫感を持って調べたのですが、この病気についても、情報の正確性が低いと思われるWebサイトばかりが表示され、辟易するとともに、正確で価値ある情報を小さなコストで容易に入手できる時代はまだ到来していないという認識をあらたにしました。

インターネットはからっぽの洞窟 

この記事を書いていて、中学生くらいの頃に図書館で借りて読んだ本を思い出しました。

◆クリフォード・ストール、倉骨彰訳『インターネットはからっぽの洞窟』

インターネットはからっぽの洞窟

インターネットはからっぽの洞窟

 

本書は「インターネットはあらゆる問題を解決する魔法の杖ではなく、インターネットが社会に浸透することで新たな社会問題が発生する」と警鐘を鳴らしています。

とくに、「計算技術や情報技術の発達により、情報を取得するコストは下がっても、最終的にその情報を利用する人間のメディア・リテラシーが発達しないことにはどうにもならない」という論旨が印象に残ったことを今でも覚えています。

当時は「インターネットのおかげで世界はよくなると思うんだけどな、でもこういう本を書くヘソまがりな人もいるもんだな」という程度に考えていました。

しかし、時がたちインターネット(いつの間にか"Web"「ネット」という呼び名になりましたが)が社会により浸透していき、情報があふれる時代になっても、人間のメディア・リテラシーはすぐには向上せず、また「価値ある情報」を抽出し提案するテクノロジーも大きく向上していない、と思わされます。

結局のところ、Webの先にいるのは生身の人間であり、情報を利用するのも人間であることに変わりはない、ということに尽きるのかなと思います。

今日はこの辺で。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

余談:

当時はCPUがPentium3、メモリは128MB、ハードディスクは10GBという、今では性能を表す数値の桁が1つか2つ違う貧弱なマシンを、ISDNという非常に低速な回線でもってインターネットに接続しているような時代でした。

当時、インターネットが社会に広がり始めたばかりで、「インターネットは既存の秩序の破壊者である」「インターネットの出現によって人類の相互理解が深まり、世界は安定に向かう」などという、デメリット・メリット入り混じった言説がさかんに唱えられていました。(あの当時のインターネット・ブームは、今でいうAIブームに近いノリがあると思います)。