「趣味でも何でも、中途半端はいけない」という風潮について。
スポンサーリンク
こんにちは、まめちです。
最近運動不足気味です。
ボルダリングが楽しくなくなってきた
3月~4月にかけ、期末・期初で多忙ということもあったのですが、最近ボルダリングとかクライミングに対する意欲が薄れつつあります。
毎週開催されている練習会にも行っていませんし、週末も他のことをしていることが多くなりました。忙しさや肉体的な疲れ、プライベートで色々と変化があり忙しいことを理由にしていますが、単に興味が薄れてきたのかなという気がします。
なぜ興味が薄れてきたのかを考えてみると、なかなか上達しない、というのもあるのですが、周囲に
「なぜ一生懸命やらないのか」
「一度始めたからには突き詰めないとダメだ」
という人が多く、少し鬱陶しくなってきた、というのも理由としてあるのかなと思います。
ボルダリングもクライミングも趣味にすぎず、必ずしも突き詰める必要はありませんし、難しい課題に挑戦する必要も必ずしもないはずです。
現状維持をずっと続ける、ということも、中長期的に肉体が衰えていくという生物学的な宿命に抗い続ける、という意味において意義のあることではないでしょうか。
要は、
「別にいいじゃん、趣味なんだから上手くならなくても」
ということです。
エネルギーの配分について
フリークライミングは一人でできるスポーツではありません。必ずビレイヤー(命綱を支える人)とクライマー(登る人)の2名が必要であり、そこには必然的にコミュニケーションが発生します。また、ロープの使い方にはじまり、様々な器具を使いこなす高度な安全管理技術や、ストレスの高い環境において冷静な判断力が求められるなど、スポーツとしてシビアな部類に入る--有体に言うと、「スゲー面倒臭いスポーツ」なのです。
それだけに、目標を達成した際の達成感や充実感は大きいのですが、心身にかかる負荷の大きいスポーツであることも事実であり、余裕のある時でないと打ち込むのは難しいと思います。
ここまで書いてきて気づいたのですが、自分は常に、打ち込むべき何かを求めている存在なのかもしれません。前職時代は、毎日の仕事がつまらなく、エネルギーを持て余しており、そのエネルギーを登山やクライミングなどのアクティビティに注いでいたのだと思います。*1
一方、転職してから状況が変わりました。仕事が面白くなったり、新しいパートナーができたりと周りの環境が変わったことで、エネルギーの使いどころが変わったのです。
自分が持つエネルギーというリソースは有限である以上、仕事に割り振るべきエネルギーの量が多くなったら、山など趣味分野へのエネルギー配分が少なくなるのは仕方ないと思いますし、それが悪いことだとも思いません。
ただ、そうした態度は前述の「何事も一生懸命にやろう!」とスポ根漫画の主人公のようなことを言ってくる人には「甘い」「たるんでいる」という風に映るのかもしれません。
まぁ、そういう人は大抵「言いっぱなし」で、私自身の人生には責任を取ってくれないので、結局のところ「自分がいいと思ったこと」「納得して判断したこと」に自信をもって生きていくべきなのでしょう。
とはいえ、山やクライミングを通じて知り合った仲間や、体力、技術、経験、勘を失ってしまうのはもったいないので、何とかして細く長く続けていく方法も模索していきたいと思います。
まとまりのない話を書きましたが、
最後まで読んでくださりありがとうございました。
*1:転職した動機の一つに「趣味にエネルギーを注ぐのではなく、毎日の仕事にエネルギーを注いだほうが健全ではないか」と思ったことがあります。