【沖縄旅行】日本銀行那覇支店〜南北大東島通貨と消えた銀行
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こんにちは、まめちです。
5月2日から5月4日まで沖縄を旅行してきました。
今回以降、何件かテーマ別に、当地で見聞きした中で面白かった事物をご紹介していきます。
日本銀行那覇支店 広報展示室
那覇市内の宿にチェックインし、荷物を置いてからまず向かったのは、日本銀行の那覇支店にある広報展示室です。
入口では、沖縄らしくシーサーが出迎えてくれます。
展示内容は、沖縄県における琉球王朝時代からの通貨の歴史を紹介する「歴史展示」と、日本銀行那覇支店の業務内容をわかりやすく示す「業務展示」に分かれており、今回は「歴史展示」を目当てに訪問しました。
展示室の全景はこんな感じです。
回収・裁断した紙幣で作られたシーサーの置物や、
日本銀行那覇支店のマスコットキャラクター「えんたん」の像に挨拶し、2千円札の張りぼてで記念撮影を終えたら、内部の見学に進みましょう。
先史時代から現代にいたるまでの、琉球における貨幣の歴史がわかるパネル展示が続きます。
中でも目を引いたのは「南北大東島紙幣」の展示でした。少しここで詳しく解説したいと思います。
南北大東島紙幣
南北大東島紙幣とは
「南北大東島紙幣」は、読んでの字のごとく南北大東島のみで通用した紙幣のことです。
南北大東島は、1900年に玉置半右衛門が開拓して以降、島全体が製糖会社(玉置商会)によって所有され、商店も全て玉置商会によって運営されていました。
このため、南北大東島内部においては紙幣(日本銀行券)を持つ必要がなく、かわりに玉置商会が発行する紙幣が流通しており、住民はこれを用いて資金決済を行っていました。玉置商会は、これにより本土より通貨を輸入する手間が省け、かつ住民に対する給与を日銀券(日本円)で支払う必要がないため、手元に残った日本円を運用して利益を上げたと言われています。
玉置商会による搾取の構造
なぜこんな無法がまかり通ったのか、という事ですが、南北大東島では島の自治が特例として玉置商会に委ねられており、日本の行政権が及ばない範囲であったためです。警察官ですら玉置商会が人件費を負担していたといいますから、まさしくズブズブですね。
「賭博黙示録カイジ」に出てくる企業「帝愛」が発行し、主人公カイジたちが強制労働に従事する地下労働区域でのみ通用する通貨「ペリカ」と仕組みは全く一緒です。
よくこんな搾取の仕組みを思いつくなぁ、と感心せずにはいられませんでした。
沖縄の銀行の変遷
「沖縄県における戦前の金融機関の変遷」というパネル展示もあり、こちらもなかなか興味深い内容でした。
戦前
このパネルでは、明治時代以降における沖縄県の金融機関の変遷が紹介されています。中でも目を引くのは、一番下の沖縄興業銀行が「消滅した」との記述です。資産や人や預かり資産といった銀行の構成要素の全てが灰燼に帰した、という事態は只事ではありません。沖縄戦がいかに苛烈なものであったか、を窺い知ることができます。
戦後
なお、戦後はこの通りです。
二千円札推し
2000年の沖縄サミットを記念して発行された2000円札。当然のことながら当地・沖縄の日銀はグイグイ押してきます。発行を記念して発売された「弐千円札物語」という泡盛の展示もあり、当時の熱狂ムードが伺い知れます。
開館案内など
当博物館は、平日9-15時までの開館ですが、入場料無料かつ見ごたえのある展示がいっぱいです。沖縄観光の際はぜひ訪れてみてください。