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【書評】『発掘狂騒史 「岩宿」から「神の手」まで

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発掘狂騒史: 「岩宿」から「神の手」まで (新潮文庫)

私の故郷である滋賀県の田舎には、近所に多くの寺社仏閣や遺跡がある。織田信長の夢の跡である安土城というメジャーなものを筆頭に、聖徳太子の腰掛け石という胡散臭いものもあったし、古墳時代に地元を支配していた豪族の墳墓なんてものもあった。私はそんなものを遊び場にして育ったこともあり、今でも古代の歴史には漠然とした憧憬を抱いている。

ある休日、神保町の本屋の書架を眺めていたところ目に留まったのが本書である。『発掘狂騒史』『岩宿』『神の手』というキーワードを目にして私はビビッときてしまった。私の古代のロマンと野次馬根性を同時に満たしてくれる稀有な一冊に思えたからである。きっと、名誉欲と自己顕示欲に駆られた男のスキャンダラスな話がてんこ盛りに違いない-そう考えた私は期待に胸を躍らせレジに向かったのだった。

そんな私の野次馬根性はいい意味で裏切られることとなった。本書では、ゴシップという言葉では片づけられない、奥の深い人間ドラマが繰り広げられているからである。

本書の特徴を2点挙げると、1点目は我が国の考古学史を概観できる良質な解説書であるという点である。もう1点は、戦後の考古学をリードしてきた人物の織り成す波乱万丈の人間ドラマという点である。

本書の書き出しは、2000年に起こった旧石器捏造事件の下手人である藤村新一に対するインタビューから始まる。インタビューを通じて、著者は、事件の本質を理解するには藤村の師であった芹沢長介のほか、芦沢の師匠であった杉原荘介について深く知ること、さらにはアマチュア考古学者でありながらも考古学に情熱を注ぎ、岩宿遺跡を発見した相澤忠洋の生涯を掘り下げる必要があるとの認識に至る。以降、著者は本書の大半を、相沢・芹沢・杉原といった藤村の先達たちの人生を振り返るという壮大なドラマとして描くことに費やすこととなる。

納豆の行商人を営む傍ら、アマチュア考古学者としてコツコツと発掘や研究を続けていた相澤は、のちに「岩宿遺跡」と呼ばれることとなる地において黒曜石で作られた打製石器を発見する。相澤はその石器を明治大学で考古学の研究を始めたばかりの芹沢に持ち込むものの、日本の考古学を覆す大発見となったこの発見は、芹沢の指導教官であった杉原の手柄とされてしまう。サラリーマン社会でもよくある話である。

芹沢はのちにこの師匠と反目し、後に東北大学に職を得て師匠と張り合い、確執を広げていく。一方で、この物語の一応の「主人公」である藤村は、芦沢に見いだされて力を発揮していく。しかし、芦沢に認められたいという一心から藤村は発掘捏造に手を染めてしまい、破滅の道を歩むこととなる。

上司が部下の成果を横取りするという構図や、「認められたい」という一心から不正に手を染めるという行動は、ビジネスの世界のみならず「良識の府」というイメージの強いアカデミズムの世界でも起こるものなのだなぁ、人間はなかなか救われない存在だなぁ、という読後感であった。

また、若き日に相澤を見出し、それまでの「定説」に異を唱え続けたことから強い批判を受けながらも、それを克服し日本考古学会に金字塔を打ち立てた芹沢が、老いてからは藤村の偽りの成果を妄信し、異説を頑なに受け付けず、晩節を汚す様には、老いの悲しさを垣間見た気がした。「人は自分の見たいと思うものしか見ない」とはカエサルの言葉であったか。学究の徒でない私も、襟を正して生きていかねばならないと思わされた。

 「考古学」という側面から人間の生きざまを炙り出す一級のドキュメンタリーである。考古学に関心のある方はもちろん、良質のドキュメンタリーを読みたいという方にはぜひお勧めしたい一冊だ。

発掘狂騒史: 「岩宿」から「神の手」まで (新潮文庫)

発掘狂騒史: 「岩宿」から「神の手」まで (新潮文庫)