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【書評】『シグルイ』山口貴由・南篠範夫

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シグルイ』という漫画が素晴らしかったので皆さんに紹介したい。軽い気持ちで1巻を読み始めたところ、のめり込んでしまいつい15巻全て読んでしまった。

シグルイ 1 (チャンピオンREDコミックス)

 ストーリー

 時は江戸時代初期。三代将軍家光の弟である徳川忠長は、短期で思慮に欠ける暗君であった。 忠長は、本来ならば木剣で行われるはずの御前時代を真剣で行うという暴挙に及ぶ。日本中から集められた名うての剣士の中に、本作の主人公・藤木源之助と伊良子清玄の名があった。

源之助と清玄は、かつては同流の剣術を極めんとする同輩であったが、様々な因縁が重なり宿敵として不倶戴天の仲となる。 御前試合の開始が告げられ、忠長をはじめ重臣たちの前に姿を現す二人。果たして戦いの結末は… といった感じの物語である。

物理的な残酷さ

 本作の第一の特徴は、その残酷な描写である。とにかく人が死にまくる。しかも目を覆いたくなるような残酷さで。首を切られる者、臓物を曝け出して惨殺される者、胴を真っ二つにされた挙句ミンチにされる者など、その死にざまは酸鼻を極める。飛び散った臓物や、人体の切断面の描写は(解剖学的に正しいかは不明だが)非常に丁寧になされており、作者の並々ならぬこだわりが感じられる。この辺の描写の好き嫌いは、「全く受け付けられない」から「興味深く読める」まで許容度の幅がありそうだが、自分はどちらかというと後者よりのようで、「人が斬られるとこんな風になるのかなぁ」と想像しながら興味深く読めた。

 なぜこのような残酷な描写がなされるのか?本作の原作『駿河城御前試合』を書いた南篠範夫は、第一巻のあとがきでこう書いている。

人間の感情が極端にはしるところに残酷はうまれる(中略)男の感情が最もはっきりと判るのは、残酷になった時である(中略)男の世界を現実につかみだすとすれば、それは残酷だ」

 なるほど、本作の登場人物(特に男)はみな激情に駆られ剣を振るい、人を傷つけ殺める。まさに「感情が極端にはし」っている。

 剣士たちは皆相当の手練れであり、剣術を人生における価値規範の最上位に位置づけている人間である。そんな彼らが文字通り命を懸けて闘う様を描写するには、やはり残酷でなければならないのだろう。

権力の残酷さ

 そんな手練れの剣士たちであっても、江戸幕府の政治体制や封建社会という大きな枠組みには対抗できず、どのような理不尽にも唯々諾々と従うという様が興味深い。その真骨頂といえるのが、真剣勝負をするために駿府に集まった剣士の一人を忠長が「手打ち」にするシーンである。

 平伏しており、自分に向かう刃が見えなかったとはいえ無抵抗のまま殺される剣士。もしも彼が個人として忠長と相対し刃を交えた場合、勝敗は火を見るよりも明らかであろう。しかし、「権力」という巨大な力の前には個人の身体的能力は無力に等しい。

 本作を読むと、「個性や人格は、体制や権力、組織といったものの前には無力である」という強烈なメッセージを感じ取る。今も昔も変わらない哀しい事実である。

 「並外れた才能や身体能力を持った個人も、制度や権力の前では無力である」 源之助も清玄も、ひいては忠長も、皆一様に封建社会という怪物に翻弄される存在にすぎないのではなかろうか。