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【書評】『在日マネー戦争』朴一

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 職業柄、金融関係のドキュメンタリー本を折をみてはチビチビと読んでいる。その多くは日本の大手金融機関を扱ったものだが、今回紹介する『在日マネー戦争 』は、在日コリアンが設立した金融機関を取り上げているという点で若干毛色が事なる作品である。 

 本書は、戦後の大阪を舞台に、在日金融機関の設立・再編を巡る歴史と、それに纏わる人間ドラマを綴ったものである。物語は、焼き肉屋が所狭しと立ち並ぶ日本屈指のコリアタウン・鶴橋から始まる。当時の鶴橋一帯は猪飼野と呼ばれ、生活の糧を求めて朝鮮半島から渡ってきた移民労働者が多く居住する地域であった。

 戦後、当地には闇市が立ち並び活況を呈することとなるが、やがてイリーガルな闇市ではなくきちんとした商行為が行われる「商店街」に生まれ変わらせようという機運が生まれる。この商店街結成にイニシアチブを取ったのが李熙健という男である。彼は鶴橋でゴム業を営む傍ら、高利貸しも手掛けていたことから、後に在日韓国人系の信用組合である「信用組合 大阪興銀」を設立することとなる。在日韓国人たちが自前で金融機関を設立した背景には、日本の金融機関の在日韓国人に対する消極的な取引姿勢があった。

在日コリアンはやがて帰国するかもしれない」という思惑のほか、少数民族問題の種となることを恐れて在日コリアンを祖国に帰国させたい日本政府と、彼らの祖国への帰国問題を戦後補償の政治カードとして利用したいと考える韓国・北朝鮮両政府との間で日韓・日朝交渉が難航しており、在日コリアンの法的地位が流動化しているという政治情勢があった*1

 かくして、日本一小規模な信用組合としてスタートした大阪興銀が最初に手を付けたのは預金の獲得であった。金融機関が事業を拡大するには、何を差し置いても投融資の原資である預金を大量に集める必要がある。理事長に就任した李は、職員に厳しい預金獲得ノルマを課し預金獲得競争に明け暮れた。その苛烈なエピソードは読んでいて胃痛を催すほどである(笑)。

 大阪興銀の融資姿勢は、日本の金融機関が「リスクが高い」として忌避してきたビジネスに積極的に融資するというものであった。焼き肉店、パチンコ、ファッションホテルソープランドなどがそれである。

各支店から在日コリアンの職員をそれぞれの現場に派遣し、そこで実際に働かせることで、徹底的に在日の商店や企業を研究させ、「担保不足でも貸せるかどうか」の業種別の融資基準を作らせた。この結果、たとえ担保がない場合でも、焼肉のタレの味やパチンコ台の性能を担当者が評価して融資することが、大阪興銀では可能になった(キンドル版 位置750)

 …と、今はやりの「事業性融資」を先取るような事業戦略を取っていたことを伺い知ることができ興味深い。このほかにも、大阪興銀はあの手この手で顧客を獲得し業容を拡大していくのだが、その手法についても本書で詳しく説明されており、「なるほど」と唸らされる。金融機関職員が読むと色々と気づきや学びがあるだろう。

 このように、日本の金融機関にはみられない(というかマネのできない)ユニークな事業戦略で拡大を続けてきた大阪興銀(合併を経てのちに「関西興銀」となる)だったが、紆余曲折を経たのち2000年に破綻し一旦その歴史を閉じることとなる。

 戦後から現在に至るまでの、在日韓国人系金融機関の興亡史は、そのまま在日韓国人が現在にいたるまで積み重ねてきた労苦の歴史であるといえるだろう。月並みだが、祖国を離れた地で生き抜くことの大変さをしみじみと語りかけられるような読後感だった。加えて、いかに商業的に成功しようとも、決して日本のエスタブリッシュメントの一員として迎えいれられることのない屈辱感を、世間一般に正業とされる「金融機関の設立」でもって拭おうとした、という読み方もできると思う。

歴史や政治に翻弄され続けた在日コリアンの悲しい歴史を、「金融」というユニークな切り口から著した良著である。皆さんにもぜひ読んでいただきたい。

在日マネー戦争 (講談社+α文庫)

在日マネー戦争 (講談社+α文庫)

 

*1:キンドル版 位置:354