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【書評】『"羽田の空"100年物語』近藤晃

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 大学で歴史学を学んだということもあってか、私は身近な事物の歴史を知ることが好きだ。全ての物事につき、過去の行いや決断の積み重ねの結果として「いま」がある。だから、ある物事をよく知るためにはその物事の由来を知るのが最良である-こういう風に思っている。

 また、私は乗り物、特に旅客機やそれにまつわる色々なものが好きだ。旅客機は見た目が恰好いい。旅客機に乗って空を飛ぶこともワクワクして楽しい。加えて、旅客機の開発・運行・整備や、その進歩の歴史は、そのまま人類の英知の発展の歴史であり、知的好奇心を刺激されてやまない。

 という訳で、旅客機の歴史にはもともと関心があったところ、職場の近くの本屋で本書『“羽田の空”100年物語: 秘蔵写真とエピソードで語る (交通新聞社新書)』を見かけて購入した次第である。

 本書は、タイトルの通り、羽田空港の開港から現在に至るまでの歴史を、豊富な写真で振り返るものである。今年(2017年)は大正6年(1916年)に羽田町・穴森に「日本飛行学校」が開校してからちょうど100年を迎えるという。同校が開校したころの羽田の地は、遠浅の海岸を利用した海苔の養殖や魚介類の漁が行われる風光明媚な漁村であったそうだ。同校の設立場所に当地が選ばれた経緯は本書には触れられていないが、潮が引くと広大な砂地が出現するという地形が選定理由だったのかもしれない。

 その後、日本が国力を増大させ、また飛行機の技術が進歩するとともに、羽田空港大日本帝国の帝都・東京の玄関口として急速に拡大していく。国内の航空路線網は言うに及ばず、昭和15年には東京~バンコク間の定期航空便が開設されたという。

 敗戦とともに、羽田空港GHQに接収され「ハネダ・エアベース」と呼称されるようになる。「ハネダ」が「羽田」に戻るには、サンフランシスコ講和条約が発効し接収が解除される昭和27年まで待たねばならなかった。

 日本の国際的地位の回復と経済成長に伴う航空輸送需要の拡大や、航空機の大型化といった要因に促され、羽田空港は拡張工事を重ね、現在の体制(4本の滑走路、3棟のターミナルビル)に落ち着く訳だが、本書が面白くなるのは話が昭和50台ごろに差し掛かってからである。著者の近藤氏が撮りためた秘蔵写真が一つ二つと開陳され出すからである。

 近藤氏は、昭和50年から職業カメラマンとして羽田空港の写真を撮り続けてきており、一般人が撮影できない場所から撮影する機会にも頻繁に恵まれたそうだ。各国のVIPが東京を訪問した際に撮影した写真や、羽田空港の拡張工事を間近でとらえた写真が本書に多数掲載されている。どれも貴重なものである。

 昭和61年5月にミッテラン大統領大統領一行を載せて飛来した際に撮影された、エールフランスコンコルド2機が写った写真や、平成2年にチャールズ皇太子とダイアナ妃が来日した際に、「JAL」のロゴが入ったタラップを降りる写真などが興味深い。羽田空港は、成田空港が開港してからも、東京中枢部に最も近い空港は羽田空港であることに変わりなく、東京を訪れる要人にとっての「玄関口」であり続けたのである。

 上述したように、本書では羽田空港の歴史にかかわる写真が多数紹介されており、読んでいて飽きがこない。年に数回でも、羽田空港を利用する機会がある人は、きっと興味深く読めることと思う。

 なお、類書として本書『航空から見た戦後昭和史:ビートルズからマッカーサーまで』も紹介したい。こちらのほうが内容は遥かに濃く、掲載されている写真の稀少度も高い。ぜひ手に取っていただきたい一冊である。 

航空から見た戦後昭和史:ビートルズからマッカーサーまで

航空から見た戦後昭和史:ビートルズからマッカーサーまで

 

 扱う対象は航空機に限定されないものの、「時刻表の変遷から近現代の世界史を読み解く」 というユニークな切り口の本書『時刻表世界史―時代を読み解く陸海空143路線』もオススメである。

時刻表世界史―時代を読み解く陸海空143路線

時刻表世界史―時代を読み解く陸海空143路線

 

 戦前~戦中にかけての日本の外洋交通について興味がある方には、本書『帝国日本の交通網: つながらなかった大東亜共栄圏』もお勧めしたい。