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【書評】『それをお金で買いますか 市場主義の限界』マイケル・サンデル

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それをお金で買いますか (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

昔(今もあるのかもしれないが)、「お金で買えない価値がある。買えるものはマスターカードで」というCMがあった。

恋人の誕生日を祝うにあたり発生する様々なコスト(タクシー代、誕生日プレゼント代、高級レストランでの食事代)といったものは金で買えるが、「恋人の誕生日を祝いたい」という気持ちやそれに付随する感情は金で買えない~という内容のCMである。

我々は、世の中に金で買えるものとそうでないものの2種類があることを知っている。鉛筆、不動産、スマートフォンは金で買えるものである一方、親子の絆、誇り、貞操観念、公徳心などは金で買えないもの…そういう認識が一般的であろう。

しかし、後者もカネで買おう、お上品に言い換えるなら後者に「インセンティブ」を与え、「マネタイズ」しよう。そのほうが世の中にとって良いはずだーーそのような考えに「それって本当にいいの?」と本書は問いかける。

著者であるサンデル氏は、本書の目的をこう定義する。

お金で買うことが許されるものと許されないものを決めるには、社会・市民生活のさまざま領域を律すべき価値は何かを決めなければならない。この問題をいかに考えぬくかが、本書のテーマである(p23)

そもそも、なぜ『お金で買うことが許されるものと許されないもの』があるのだろうか?著者は、その理由を二つ挙げる。一つは「不平等に関わるもの」であり、もう一つは「腐敗に関わるもの」である。

まず、「不平等である」とはどういうことか。それは、「お金を持っていることがあらゆる違いを産み出すことになり、不平等の刺すような痛みがいっそうひどくなる」ことである。社会格差が拡大することで、市民社会に分断が生まれ、それが大きくなることを危惧しているのだ。

「政治的影響力、すぐれた医療、犯罪多発地域ではなく安全な地域に住む機会などがお金で買えるようになるにつれ、収入や富の分配の問題はいやがうえにも大きくなる」(p21-22)。

「腐敗」とは何を意味するか。

「生きていくうえで大切なもののなかには、商品になると腐敗したり堕落したりするものがある」(p24)。

世の中にはお金の力がおよぶ「べきでない」領域が存在する。健康、教育、自然、芸術などがそれである。本書は、この2つのテーマを根底に据えたうえで、

「公共生活や人間関係において市場が果たすべき役割は何か」「売買されるべきものと、非市場的価値によって律せられるべきものを区別するにはどうすればいいか」(p25)

について、様々な具体例を挙げて読者に考える機会を提供するという構成となっている。

 

少し話がそれるが、私は大学を卒業してから今に至るまで、一貫して金融業界で飯を食べてきた。金融-市場メカニズムをある程度「当然」とし「是」とする価値観の中でメシを食ってきたし、今後もそうだろう。そのような自分にとって、「市場メカニズムは決して万能ではなく、それが馴染まない分野は山のようにある」という本書の主張は「ああ、そう言えばそうだよなぁ」という納得感をもたらしてくれた。同時に、「市場メカニズムは善であり、万能の処方箋である」という規範に知らず知らずのうちに侵されていたなぁ、という自覚に至り若干慄然とした。

そもそも、市場メカニズムが善とする「効用を最大化する」というお題目も、功利主義の一形態であり、他の道徳的規範に比べて優劣を付けられるものではない。考えてみればシンプルな話である。

一方で、我々の意思決定-ー個人レベルであれ社会全体であれーーは、「市場メカニズムこそが善である」という前提でなされることが増えている、ということに著者は警鐘を鳴らしている。

裁判の傍聴券を得る代わりに、誰かに金を払って並んでもらうことは「裁判の傍聴」という行為の趣旨になじむのか。

教育的効果が認められるからと言って、子供が宿題を仕上げるたびに小遣いをやることは正しいのか。

罰金を支払いさえすればスピード違反をしてもよいのか。

--など、市場メカニズムと道徳を巡る問題は色々な局面で表面化しつつあり、本書には(主にアメリカで)その極端にはしった事例が数多く紹介されており、大変興味深い。

よりよく生きるとは、市場メカニズムのもたらす価値観に適応的であることなのか?決してそうではない、ということを気づかせてくれる良著である。

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